まずはじめにお知らせしておくと、今朝もとても落ちて、噛み合わない会話をして泣きながら送迎した。なのでボロボロのメンタルでお送りします。が、心配するほどじゃありませんので。ただの物語だ。
感謝を表現するのがとても下手な人と結婚している。感謝だけじゃない、気持ち全部かもしれない。
それに困ったり悲しくなるのは私の問題であって結婚相手の問題ではない。
できないことを相手に求めるのは、誰も幸せにならない。わたしのメンタルの問題だった。
ただ、疲れたねぇって言い合いたかった。
日常のささいなことで揺れ動くことをよしとしてほしい。誰かに話すと、自分を語ると、現実を見なさい!と言われているような気分になる。
実際はわたしの方が現実主義すぎるというイメージなのだが、、、未来を見るから現実どうするかを考えることができるのでは?って思うと、
俺は未来を見てるから、って発言が腑に落ちない。未来は描くけど作ることはできない、ならわかる。作れない人が作る仕事を持っていたり、描けない人が未来図を描く場所にいるというのは致命的なんじゃないか。
がむしゃらに動いていたら実は私しか動いていなかった、という感覚なのが現在。
優先順位を明確にすることで役割が生まれるし、手放したいなら託さないと。信じないと。
手放せるなら手放したいよって言ってぎゅーっと両手で抱きしめているように見えてしまい、望んでそうしてるのかな?って思えてしまう。
あー、昔の私もそうだったのかなと思った。
全然変わってないかもしれないけど、あの時こうだったのかな、昔の自分とおなじだ、って思えることはそこから違う立ち位置になっているのかなーなんて。そうならいいな。
どうしても受け流せない言葉遣いや やりとりを聞いて悲しくなることも自分の問題なのかと思うと逃げ出したくなるけど、自分の問題なんだ。誰も助けてくれないし、自分で決めてそこにいる。
どんなに優しい言葉が溢れていても、自分で選んで自分で決めている。
悪魔祓いを自分でした人、こと私です。
が、まだまだ潜んでいる。慣れるし仲間にもなるし、笑って過ごせるようにもなる。わたしはそれを知っている。