春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

私がイメージしている福祉はまだ存在していないのかもしれない

日々を終わらせるので精一杯で、それでも一緒に働くみんなに救われている

気づいたら福祉の世界に足を踏み入れていた私は、気づいたらめちゃくちゃ福祉のことを考えている人になっていた。

入ってみると不思議なことばっかりで、これは管理する人の性格なのか業界としての性質なのか、なんだか自分が無謀なことをしてそうな気がしてる感覚あり。なんとなくわかってきた。カフェの時もそうだった。全然やりきれなかったけど、やっぱり目指す未来があった。今はそれもまとめて達成しようとしているのかもしれない。

そして自分のこの部分を障害と呼ぶのかもしれない。

 

 

綺麗事は現実にしないと意味がない。耳障りのいい言葉だけで成立するものなんて何にもない。わかっている。でも、目指す未来は綺麗事でないといけないのよ。

想像できることを話しててもそれは短期の目標であって目指す未来じゃない。

でも綺麗事だけでは未来を作れない。めちゃくちゃバランス感覚の良い人か、ものすごい良いチームか。思いだけじゃどうにもならない。

思いだけじゃどうにもならないことをみんな知っているはずなのに、思いだけでなんとかなるんじゃないかって思ってる。

いや、本当にもっと勉強しなくちゃいけないし、わからないことを認識する勉強をしないとどんどん差が開いていくばっかりだと思う。

 

 

救いたいって私は絶対使いたくない

おこがましい。救いって救われる本人だけが使う言葉だ。こんな時だけどこういうことばっかり考えてる。

政府に怒ることと自分がどう生きていくかを考えることはセットだ。

諦めているわけじゃないけど、ここで救いたいを使うとするならば怒りよりもなるべく多くの人が生き延びれる可能性に賭けたい。

 

救えないけれどいろんな人に救われていて、だからお返ししたり何かお手伝いができればな。それが誰かの救いになることもあるかもしれない。それくらいでいい。

 

疲れてるけど充実感あるでも疲れてる。

毎日面白いです