春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

ベイビーステップは合間にケーキを焼く。にした。

(気持ちの備忘録的な、自分を勇気づけるメモ的な)

毎日、空を眺めることが習慣になってきた。
今日の夕焼けもよかった。運転中だったので写真は撮れなかったけど。

予約が少ない日の朝、facebookに投稿したら、ランチタイムにどんどんお客さんが来てくれて、あれよあれよと満席になった。

関係あるかわかんないけど、うれしかったなー。
昨日もちょっとした失敗からマフィンを作ることになって、思い切って焼きたてで出してみたらパートさんが上手に営業してくれて完売したりして。最初のうっかりを3人でひっくり返した感じ、よっしゃーって気持ちよかったし感謝した。
今まで、つらいや大変ばっかり聞いてきて、余計なことを増やさないように、効率効率、って無意識に考えてて、思考がどんどん縮こまっていたんだな…って。あぁ、お願いしてもいいし、毎日違うことが起きても、もしかしたら大丈夫なんじゃないかって。
嬉しいことを一緒に喜ぶのもいいなぁと心が少し軽くなった。それは、きっと、その人達と一緒だったってのも大きいのだけど。

きっと、誰かに話せば、「そんなのそうじゃん」「怖がる必要ないのに」って言われちゃうんだろうけど、私にはとても大きなことだったよ。
ずっと、彼女と私は陰と陽だと思っていたんだけど、もしかしたら、彼女がいたから私は陰に回ったのかもしれないし、私が勝手に彼女を陽にしたのかもしれない。なんにせよ、私が陽になることもあるのかもしれないなとか。
なんでもいいんだよなぁとか。


小さな小さな成功体験を積み重ねる。



これから、絶対に大変な状況になるんだけど、近づけは近づくほどなんだかぼんやりして、なんとかなるよって楽観的な部分もあり。

でも、変わるには、自分が変わらないといけないんだ。
みんなで打ち合わせをしたとき、なんかなぁ…ってしこりのように残ってたものが、自分が変わりたくないって気持ちなのかもなって思ったりした。

変わろう!に、まだ怖さがあって、なんだかドキドキして震えている。楽しみも恐怖もある。
誰かに聞いてもらいたい、誰かにそばにいてもらいたい。涙も出てくる。
感情がぐちゃぐちゃ。でも、嫌なだけじゃなくて、どっかで乗り越えたいと思っていて、だから、ぎゅーって身体の内側に力がどんどん向いていく感じ。
この感じはなかなかなかった。今までものとはちょっと違うような気がする。


ずっと、私は強い。と思っていたし、そうじゃなきゃ生きていけない、と今でも思っているけど、あれ?こんなに弱いっけ?って。
その度に強くならなきゃ強くならなきゃってなってたんだけど。
そうだ、そうだ。強くなったんだった。
ほんとうに臆病で、甘ったれで、でも、やるしかないっていっこずつ、武器を手に入れて私は強くなったんだ。
で、、変わることはそれを全部無くすことだと思ってしまっていて。きっと、だから怖いんだ。

大丈夫、大丈夫。武器や服だけじゃなくて、それを身につけられる身体も頭もちゃんと育っているよ。って言ってあげる。

自分の中に、お父さんやお母さんや赤ちゃんや大人になりきれない子供みたいな自分を持っていて、毎日自分で自分をあやしている。
自分で自分を叱ったり、なだめたり、本当に?って問いかけたり…。

この数日、またなんとも言えないうねりができている気がしてて、今日の自分の違和感を冷静に見つめられてよかった。
あと、眼鏡を買った。ひとりでいけた。
道も覚えた。スクワットのお陰か猫背が治ってきた気がする。

これもまた成功体験!



もう、絶対に腐らないぞ。自分のしてきたこと、これからすること、絶対に腐らせないんだ。

そして、これも、たかだかひとりのちっぽけなやつ。
それでも、腐らないって決めたんだ。



眼鏡に似合う顔になるには顔の筋肉を鍛えること、おでこをつるつるにすることが必須であるような気がしましたので、今日からその辺も気にかけつつ日々を生きたいと思います。







今年は最後だなぁ…と思ってから3玉目のスイカを本日手に入れました。

この夏はよく食べた。大きいのから小さいのまで、私史上最高に食べた。(まだ食べる)
もうね、ここまで好きだと大きく切って大胆にかぶりついて種をぺーっ!とかじゃないからね。いかに効率よくロスが少なく、ですからね!
   
【1口サイズにカットし丁寧に種を取り、ボールに山盛りにしていつでも食べられる状態にしておく】……これがマスト!
ご飯を炊くよりめんどさいような気もするけど、すいかを快適に食べるためにはその辺全然気にならないのであります…なんというか、すいかを好きで居続けたいからこちらも努力するわ。的なね。そういう気持ちありますよね。
そういうの大事だよね。

そのおかげか、夏の間、アイスやかき氷を食べる回数が劇的に減ったので良かったのかな。

果糖と上白糖の戦いがここに!




空がすっかり秋になってしまった。f:id:DOKUMURAGIRL:20160903044054j:image(秋、いるかビレッジ)
最近よく空を眺めている。写真にも収める。
夏の雲は遠くてジリジリとこちらの様子を伺っているみたいだったけど、秋の空は厚ぼったく取った絵の具をぺたぺた塗ったような空だったりするね。不思議さだけでいえば、空もオカルトなのかなー。

f:id:DOKUMURAGIRL:20160903044313j:image(夏の終わり、どこか)

へらへらした信念みたいなものを風に流した。
そのままどこか遠くまでいってはくれぬか。と。
私には必要ないものだったけど、どこかの誰かにはぴったりハマるかもしれないよ。と。


できた曲を録音したんだけど、こう、自分にとって気軽でないことを気軽にできることにしみじみと感謝しました。
おかげでとても好きな曲になった。
音楽はなくても生きられるけど、でもやってると新しい気持ちに出会えたり気づいたりして、私はあるとうれしいなぁと思った。正直にいようと思えた曲を作れてうれしいな、うん。


ブログを書こうとすると、あれもこれもとなってバラバラになってしまうけど、私の脳内もあれもこれも考えているので、これは見事!私を体現しているブログである。えへん。


まぼろし博覧会のあのマネキンじゃないけど、好きなものだけに囲まれていたいよ。って。
そのためにどんどん、これでもかと捨てたり抱きしめたり伝えたりしていきたいな改めてと思ったナイスサタデーであります。


みなさま、良い週末を。



あぁ、大丈夫。僕らはちゃんと変化している。

9月はみんな、始まりの時だよ


側という程近くないけど、リアルタイムで作られる彼(や、彼の作るもの)を見ていて、自分でもいろんなことを考えてた。変わっていく様や今までの頑張りとか苦労を少なからず知っているから、私も自分のことのようにドキドキしている。

全然、規模や思いや形やら、みんなそれぞれ違うけど、私は私ですごく大きな8月を過ごして……そして終わった。
最後の最後に安心をもらえて、それでまた頑張るんだろうな。


はじめ。なんにもなかった。
あったけど、なんにもなくした。ほんとうにはじめから。
場所だって、畑を更地にして地盤をつくるところから…

ある人には夢ばかり並べて。
ある人にはお金儲けばっかり。
ある人は家族のことを何も考えてない。
ある人はそんなんでうまくいくならいいね。

いろんなことをいわれた。
離れた人もいるし、もちろん、おもしろいねってそばにいてくれた人もいた。甘い汁を吸えるんじゃないかって思って近づいて来た人もいただろうし、こちらもそんな時があったのかもしれない。


私は一緒に暮らすその人を応援する。という形から始まった。
それでやるしかなかったし、やらないと終わってしまう状況が今だってずっとある。きっと、これからも。出来なかったこともたくさんあるし、諦めたり、目的を修正変更しながら振り回したり、振り回されたりしたけど、そうやって道は作られるんだなってベタだけど実感してる。。




憧れの人に認められること。嫉妬しているよ。と言われること。
なんて、なんて、最上級の褒め言葉だろうなと思うよ。
よかったね、よかったね。って。この場所を作り続けてきてよかったね。って。


私も私で、やってきてよかった。
やっと、同じ土俵に立てたような気分。
私も私を褒めていいんだ。
そして、とびきりの一曲ができた。キラーチューンと呼んでいいんじゃないかな。
あぁ、一緒なのかな?暮らしなのかな?
私もそうやって混ざったり繋げたりしてるのかな。


やっと。やっと始まり。
全然きれいじゃない、ぐちゃぐちゃのままスタートラインを引く、そんな気分で。


9月がはじまりました。

時間が止まることを望んじゃダメだよ。君の生きる場所は今はここ

もう数日経ったあの時間がまだ身体の中に渦巻いている。それでいて、目の前で起こるいろんな感情も、これもまた今の私があるからであって、未来をどうしたいか。なんてことを考えたりして。





存在を確かめに行くツアー。だった。
言ってしまえば、知らない人の家に行ったのだ。そんなことが、現実にあるという現実。ギターで次から次とジブリの音楽を奏でるその人のそばで出してもらったコーヒーを飲みながら持ってきた本を読む。
風がとても気持ちよかった。
置いてきた本はバングラデシュに渡ったらしくて、わたり文庫という名前がぴったりだなって、当事者になって実感する。

 さっき、その方のブログの新しいエントリーを読んで、じんわりしたものが深く深く染み込んでいくのを感じた。

子育ても家庭というものも、これっぽっちもバランスは取れていないけれど、それでもみんなに笑っていて欲しいし自分も笑っていたいと思う。
自分の力を信じること。



なんでこんなに自分を縛っていたのか。って、ふと思うことがあって。
私が楽しいのが一番なんだなと。
したい苦労をしたい。




洋服に草履を履いてたのをかわいいって言ってくれたのが今週のハイライト。
あの夕陽と港と青空はきっと一生忘れないと思う。あんなに「時間を使っている」と感じたのは本当に久しぶりだった。
そうだ、私は時間を使いたかったんだって。
私は私を使い切りたい。なんとなく、これが今の自分の芯となる部分なのかもしれないな。
いやはや、しかし、感謝しかない。






これにて、遊ぶぞと決めた8月は終わります。
9月は適度に遊んで、ぐぐっとスピードを上げたい。気づいたら乗っていた風を、自分で作るように、そしてその風に乗る人がいたら最高だなと…。
おもしろそうなら、いつでもきてね。




口紅を塗ったそばからとうもろこしを齧る

坂爪さんのブログ。


これで良かったのかもしれない。と背中を撫でてもらえたような気分。
そして、イリュージョン。
あぁ、このタイミングでイリュージョンなんだ!って、坂爪さんに感謝する。
彼は彼を生きているだけなのに、なのに、そうなの。

なんか、それが良い。


うれしい気持ちだけ、アップ!

歳が変わってひたすらねむい

ここのところ毎日バンテリンを塗って出勤するという満身創痍さではあるのですが、数日前に誕生日を迎えました。
だからか…みたいなリアクションはもう、全然、全く!欲しくないのですが、去年あたりからの身体の変化は相当なもので、こんなにはっきりと自覚することがあるのか!って自分に、自分の脳にびっくりしています。
まぁ、自分で出した信号を自分でキャッチしてびびっているという完全なる自己完結ループひとり遊びなのですけど…。



暑苦しいのはいやなんだけど、エアコンの風が直接当たるのもいや!みたいな。君は今どうしたいの?涼しくなりたいの?なんなのー、もう?どっちなのよー!みたいな。(実際は自分が嫌な気分になりたくない。一択のみなんだと思うけど)



偏っているかの確認をした。基本、偏っているのは誰しもそうなんだけど、偏っていることを確認した上でこっちを選びます。今はこの道を信じます。的な。
最近そういうことが多い。
考え方が違うのは当たり前として置いておいて、どう違うのかをすごく気にしているように思う。そこを知りたいというか。
でも、それってなんにも良くないことなのかも。なんか、浮気してるかもーって相手を疑ってるのと同じかもしれないなって。それは悲しいなと思った。
残る道というのは信じるという道しかないのかな。
んー、でもなぁ…ほんとはもっと話したいし、できることなら違いを語り合いたいと思っているのが正直なところ。違いってなんにも悪いことじゃないのになぁ。でもなぁ、そこを広い器で遊ばせてあげられないってことは、やっぱり私はカオスに憧れる秩序さんなのだな。




とはいえ、私が安心するものとはなにかな?と、小松菜を茹でながら、モロヘイヤを茹でながら、辛子明太子をちょいとつまみぐいしながら考えていました。

私には今まで、安心という意味では本当に大きく心に残ってる出来事が2つあって。(これはまた、違う時に詳しく書いてみようかな。)
この二つのどちらも父親が関係していて、実際いまだに父のことを話すと泣けてくるし、なんか変に感傷的になってしまったりするのですが。
それほど、私は父に影響を受けていたんだと思い出す度、思い知るというか。
父は、勉強はあまり出来なかったかもしれないけれどよく考える人でした。
相手のことを第一に考えて、家族にはとても厳しかったけど外の顔はとても優しい人で。
あぁ、でもやっぱり愛情という面ではこれでもかともらっていたのかもしれない。
大好き!とかではなくて、ただただ大きかった。

これを書いているだけで泣けてくる。
いきなりいなくなるのはほんとに悔しいな。
ぽっかり穴が空いたまま埋まってないや。


そりゃぁ、ファザコンにもなるなと納得しているもうすぐ夜の21時です。



ほんとうに、いつ終わるかわからない。
 その瞬間、大事にしすぎるくらい大事にしてしまうけど、それでもいいんじゃないかなって思うんだよなぁ。


父の話はまとめられなくなってしまう。

ということで、お兄さんとお父さんの間くらいの諸先輩方とのスタジオの為車を走らせ行ってまいります。(おあとがよろしいようで)

濃紺のノースリーブワンピースを本日の相棒としました。

カレーとかラーメンとか、パフェとか、塊みたいなごはんは胃にくる。
あと、あんまり食べられない。

カレーを食べに行って、ナンをひとちぎりしたらお腹いっぱいになってしまい、どうしたものかと思った。こんな時に限って娘もちょっとしか食べないし…。

ほんとうに、みんな、こんなものを?(本当はことを?)と穂村さんになった気分だった。
そして、ひとちぎり目で満足させるポカラのナンもすごい。



なんというか、才能もセンスもないから考えつづけないと死んでしまう。腐ってしまう。
簡単になんにもできない。
楽になりたいときは楽になるプロセスを、楽しみたい時は楽しくなる方法を考えないとそうならない。手を抜くことを気軽に簡単にできない。
きっと、これだってある意味では異常だし、でも、私にとっては正常で、みんなそれぞれそういうものがあるってだけな気がしてる。



幸せを願うことは相手を変えることではない。
信じる。君の選択を信じる。
信じること、自分のために生きること。
頭ではいつも唱えてるのに、もう!
でも、あぁ、少しだけわかった気がする。


昨日はトリエンナーレ豊橋会場に行ってきて、ぐにゃぐにゃ迷路のような開発ビルを堪能してきました(途中でチケットを落としてスタッフの方に迷惑をかける…)。そこで1フロア使って展示してた小林耕平さんのがとても好みで、話し方も柔らかさも好きだった。一緒にやりとりしていた人もそうで、2人のやりとりがとてもいいなと思った。
声も出してけらけら笑って過ごした。
また見に行こう。

アートというものも、政治も、経済もよくわからない部分ばかりで何で判断すればいいかチンプンカンプンなところはあるけど、話すときの間や息遣いや言葉の選びかた、服装、ユーモアさや覚悟とか、どれかにピンとくるものがあって好きになっていて。
だから、やっぱり着るものやお化粧や選ぶものは全部私であるという自覚を持って過ごしたいなって。

ん、というか、自分であるという自覚がある人がすきなのかもしれない。
良い部分も悪い部分にも向き合ってる人。
向き合うことはつらいけど、向き合わないことの方が辛い。

待つ時間はつらいけど、待つ時間がない方がつらい。みたいなことを ある小説で読んだけど、ほんとうにそうだなぁ。


日差しが強い。
離れないと休めないのはとても効率が悪いなぁと思うんだけど、離れたら少し心が落ち着くということを知れただけでも実のある1歩。



カーステレオから流れる音楽はどれもこれも昔の曲ばかりです。