春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

アルコールを少し取り込んで普段話せないことをポロっとこぼしてしまうとき

ずっと食べたかったナポリタンと賞味期限が過ぎたピザと安ワインで夜ご飯。この後お弁当の惣菜アンド常備菜をつくる!

 

北のほうからやってきた宝物を聴いている。頭から離れないし、歌詞って聞こうとしなくともこんなに入ってきてしまうものか、とびっくりしている。聴きながら笑っちゃうの初めて。

めちゃくちゃかっこいいのにめちゃくちゃおもしろいなんて、すごいよ。終始ニヤニヤしながら車を運転。

 お酒飲みながらライブみたいと久しぶりに思ったなぁ。たまにこんな気分になれるのがうれしいなーこういうのがいいなー。

 

 向こうにいた時に呼ばれていたあだ名が書かれていて なんかね、くすぐったくて。でもよかったなーって(要はうれしかった)

 

 

ぽろぽろと溢れるように。話すことを許してくれる人。待っていてくれる人。

あー、ストレートな言葉もうれしいし間接的に柔らかい気持ちを伝えてくれるのもうれしい。

 (なんでもいいんか!というつっこみはなしにして)

 

 

 

 

 

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冬は 重ね着おしゃれが楽しいけれども着膨れしない身体が必要なのである。

着膨れしない身体が……着膨れしない身体がひ……ぐはっ。

(絶賛ウォーキング中でありますが、果たして効果は…?12月を待て!)

 

 

なんにせよ、セーターとプリーツスカートの季節なのがうれしいです。 

 

すこしずつあつめる。

気づくのが遅くて大事なものを大事にできない瞬間がある人の日記のようなもの。

 

 

かわいいものとキレイなものをひたすら眺めている。

 

 もうすぐケーキの試食イベントがあるのでとびきりかわいい時間にしたい。イメージイメージ。イメージに近づくように。

 お皿とかにやっと手をかけられるようになってきた。それが自分の中でとてもうれしいものになっている。

ただ、もうすぐって、もうすぐって、あと三日後だった…ほんとにもうすぐだった。てへへ、とかいってられない…!

 

 

髪の長さだけなら一緒なのになーって(佐々木希と)思いながら伸ばそうか切ろうか悩み続けておりますが、この長さも好きになってきた(佐々木希とおんなじなので)

で、(佐々木希がざくざく切っていたので)前髪だけカット。

 

結果 娘と同じ髪型に(てへへ)

 

 

お弁当を作るというミッション(勝手にやってることだけど)があることにより、朝少し早く起きて活動出来ている。それが心地良いのでお弁当を作ることに対してのストレスはいまのところフリー。絶対イライラすると思っていたのに、「やれない」に対しての方が気持ちが強かったんだなーと。確かに、足りてない、やってない、出来てないとか 異常に恐怖している部分あり。

 そんななので、なんにも変わってないのかなーって ぎゅーっと戻ってしまう時が来る。なる。そんなことはないはずだし、自分がなんにも変わっていないと思ったらなんにも変わっていないことになるのだ、ってわかってるはずなのに。

パワーバランスが崩れた時にやっぱり誰も居なくなっちゃうの?やっぱりできない人間なのかな?って、過去の言葉が出てくる出てくる。

今ってなんだろ、わかるけどわかんない!って焦る。

焦るのよくないよね、知ってるのにな。

 

あと、これが一番よくないんだけど

人によって言葉の使い方は違うのに 、落ち込んでいる時は傷ついた方をよく思い出してしまう。

ほんとによくない。そっちじゃないよっ!!って逐一ぺしってしてほしい。わたしの中のわたしよ、ぺしってして!ぺしってしよ!

 

 

 

消極的選択が不幸ではないと言われながら、消極的選択は不幸なんだなぁと考えていた。

それは、多分、そう思う自分がいるからなんだけど。そんで精いっぱいやってるよって思いたいんだと。情けないけど自信が全然ない。時間がね、かかるのですね。

そりゃそうだ。三年くらいくるしー!ってなって、2年半くらい諦めよう諦めようとしていた日々があったんだから。

はい、さっぱり!なんてなるはずないのだ。それは全部自分が招いたことなんだけど、だからこそゆっくりゆっくり。いいんだよってね。

今回一歩進んだ!泣いていないのだ。喚いていないのだ。私からすれば、歴史的一歩だ、お祝いしたい気持ちだ!

ちゃんと喜べばいいんだった。

嬉しい言葉もいっぱいもらってるし信じさせてって言ってくれる人もいる。それは事実なんだ。

 

顔を見て謝りたいし顔を見てありがとうを言いたい。毎日毎日新しい自分さんこんにちはですね。ハローニューワールド。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

久しぶりに外食したらめちゃくちゃな胃痛に見舞われた人の日記のようなもの

疲れてる時のお寿司はだめ!ゼッタイ!

(夜のやきにくはもりもりたべた)

 

 

くましのさんのRTにより、パーフェクトレボリューションのミツ役の女の子がとびきりにかわいかったのを思い出した。リリーさんや小池栄子さんはもちろんなんだけど、ミツの全力感とそうでしか生きられない感じがとてもよかった。最後、黒髪になったときミツのモデル役のはるちゃんにとても似ているなぁ、と   思った。

 

はるちゃんの存在を知っていたので映画も若干そっち寄りで見てしまいました。宇宙の法則とか子宮がどうのこうのとか、表現の仕方としては苦手ではあるし、はじめて見たときは思いっきり拒絶反応を起こしたし嫌悪感もあった。なんだけど、最近?春くらいからかなー、この人もトップランナーなんだなーって思う時があって、正直に生きているだけだしある意味筋が通っているというか、みんなハッピーなことが大事だよね、うん。って少しリンクする部分もありそれからこだわりなくするすると。だから映画も映画館まで行って見ようと思った。かわいい人だな、とすら。

映画としてはちょっと雑で力ずくで持っていった印象は否めないけれど、それは存在しているからこその作られたもの(日本語変かもだけどそんなイメージ) だからなのかもしれない。なによりポップに仕上がっていて、それがよかったです。

 

 

誰もがみんな生きづらさを持っていてそれをどう表現するかだし、どう付き合うか向き合うかしかない。まっすぐになるしかなくてずるさも多分持ってる。それはまっすぐさ故のずるさというか。誰かはずるさと判断するんだろうな、みたいなもの。

 

私は無駄な時間が嫌いで効率良く生きたいタイプなんだけど、生きる上で必要のない音楽やスイーツという、ある種の無駄で自分を成立させようとしているなとぼんやりとね、思いましたね。この矛盾ったらないね。

それでもあなたの一部になりたいんだよ!なってみせるよ!って、お菓子を作ってる。

あと、今見てる未来で成功したい。これでもいけんじゃん!って言いたい。

飲食店は、子供がいる母親は、女は、学歴が、引きこもりが、貧乏だった、コミュニケーションがうまく取れない、とかパッと判断されがちなものの割とネガティヴな側にいる自覚があるので、それでも生きられますからね?やれますからね?って言いたい。自信を持ちたい。

振り返れば、わざわざ学校行かなかったり、馴染んだお仕事を辞めて知らない場所へ行ったり無駄なことだらけだった。早いうちに済ませちゃったのかもね。

だから人生は楽しいんだね。無駄なことなんてひっとつもなかったって死ぬ時に言えたら幸せだなぁ。

 

表情がころころ変わる人も大好きだけど、落ち着いてる人がテンション上がった時にニヤッてする瞬間を見るのもすきなのは、その場所に一緒にいられることとその時間を共有している感触が満足度となっているからなのかもなーと考えたりする。一緒にいてひとりを感じることが一番苦手だな。それは変わらない。それからは一番逃げたい。

 

あー、ふみちゃんがいなくなって不安がってるのは私だ。いっぱい後押しをしてくれて、多分いっぱい後押しをした。信じてくれてたし信じた。事業は別々の担当だったけど割と近いところにいる感覚があったから、漠然と不安になっていた。そうだよ、だって私はすぐ不安になるタイプでしょ?不安が好きでしょう?って、自分に言って、だからこの不安は考えすぎなものだって言い聞かせて落ち着こうとしてた。

なんだけど、メルボルンに着いたよーの後すぐ、向こうのケーキ屋さんの写真を送ってきてくれて心配が吹き飛んだ。あぁ、大丈夫だ、これは始まりだったんだ。

人間って単純にできているなーーーめでたしめでたし。

 

 

 

小さな決断から未来を変えたいお話はまた次回!お楽しみに!

 

 

 

がんばろう!って

相手に向かって発しているのに完全に自分に向かって返ってくる。なんか、もう、結構早いスピードで。

 

送信ボタン押した瞬間バンッ→←バンッって。

 

がんばろうには頑張りたいも頑張らなきゃも頑張りたくないも全部入ってる。それでもやるしかないよね。覚悟してるのか?って自分に喝を入れている感じ。

 

 

人間らしく生きたい

お金がほしい

あれもやだこれもやだ

 

って言ってる人に構ってる暇がないよ。こっちは人間らしく生きたいしお金も欲しいんだよ。

 

日々時間や環境や状況によってポジションを変えられる人が好きだ。不器用でもそこに愛情が見える人が好きだ。

 

一つのやり方で頑張ってます。って、じゃぁ職人かなんかになってくれよ、好きに生きてよ。だし。君は君のゴール地点があって私にはわたしのゴールがあるのだ。

 わたしはわたしにしか生きられないのだ。

はぁぁーーー、そうなの!ほんとうにそうだよね。

 

 

 

 

 

そういえば、誰だったかなー

「尊敬があってはじめて平等が生まれる」みたいなセリフ、すごくすきだな。まったくだよ。

 

 

ちょっとやきもきして書いたけど、最後はなんかあったかくなってる。わたしはわたしに やったね!って言うよ。

 

夜のおやつはミルクティーとりんごのチーズケーキ

前回のブログ(数時間前)にも記した通り完全に塩分過多の生活をしている。おせんべいならいいか!って味しらべと新潟仕込みをこれでもかと食べているし、冷奴に高菜の漬物アンドお醤油とかしちゃう。バランス取ってるようで取れてない…

あ、むくみがすごいのってこれのせいかも……??

(塩分塩分言ってますが、糖分もしっかり摂取しています。半人前のケーキやさんなんで食べて確認ばかり…) 

 

 

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早速ですが割とがっつりSMAP世代な私なので、やっぱり72時間テレビ見ちゃってたんですよ。ちょこちょこと、うん。もう数日も前の話ですけどさせてください。

ファンというか共に生きていたって感覚があります。SMAPがいたのが普通と言うか自然というか…もちろんテレビの中の人なんだけど、田舎でゲームもインターネットもまだ普及していない時代を過ごしている身としてはテレビからの情報が大部分を占めていて、それでいて大人になったら選択肢は増えるけど増えた分欲しいものだけ集められるので逆にテレビを見なくなって馴染みのあるものが昔のものばかりになっていくという。そして直接会ったこともない人を嫌いになることもないのでずっと良いポジションにいるというね。

スマスマの第1回目の放送も 森くんが抜ける時も 解散の時も…かじりつくとか追いかけるとかとは違う、面白いとか面白くないとかとも違う、見届ける気持ちと言うか。

たぶん、この年代でテレビを普通に見ていた人達はそうなんじゃないのかな?と思った。

 

 

……続けていいですか?ちょっと、ほんとに思うところがたくさんあって、なんだかこんな風にそわそわしながら過ごしたのも久しぶりだったんです。いや、これはほんとに面白いから見てたとかじゃないよね。ちゃんといるよってのが伝われーって思ってた部分があったり、受け取りたいって思っていた部分もあったり。

森くんと逢った時の3人の顔とかさ、もうさ、堪らなくなかったですか?脱退したのは20年も前なのにさ、それなのにさ、あんな顔をするわけですよ。慎吾くんのさ、森くんすきすきーが溢れ出てるのがあったかさと切なさをどんどんくれるわけです。20年前のことをあんな風に話す時間が、過去とか時間とかじゃなくて今なんだって思い知るというか。

特別な世界が普通の人達ではあるけれど、新鮮にパッケージングされたまま20年経った部分が確実にあったことがちょっと衝撃だった。

森くんが「自分の職場に来てくれてうれしい」と言ってたのも「会いたかったもん」ってサラッと言うのとかもさ。つよぽんのギターや、やるやらないの切り替え方の狂気さとか。なんかすごかった。こんなにずっと見ていた人達なのにこんなところもあるんだ!まだ新しい部分があるのか…!って驚いたりして。最後の最後、森くんのメッセージで吾郎さんが抑えきれなくなってあんな風に泣く姿にもグッとくるしかなかった。なんにも平気じゃないんだなって。それでも生きているんだなって。言ってしまえばおじさんたちですよ。おじさんたちの涙でもらい泣きしてる私もおばさんで、でも、私にとってはアイドルで。ただただかっこいいなって思った。

アイドルをし続けるって決めた人達かっこいいです。

進むしかないし、生きるしかない。し、いくらでも進めるしどこでだって生きていける。

 

スーパーヒーローも魔法使いも救世主もさ、いないんだ。でも、なんでスーパーヒーローはあの人だなーとか彼は魔法使いみたいだなって思ったり救われたって思えたりするのかって、無意識のSOSの場面に居てくれた人達だったからじゃないかな。優しくされたからとか具体的に何かしたとかそういうのじゃなくて、あの瞬間そこに居てくれたから。写真を送ってきてくれたり、ふいに電話がなったり、テレビの画面からドラマのセリフや歌から受け取った言葉とか…「想っていた」が確認できた時に救われたりする。ヒーローが生まれる。

それって全部こっちのさじ加減で。テレビの向こう側も携帯の画面の向こう側も私には同じようなものなので、だから遠くの人のことばかり想ってしまうのかもしれない。

 

 

好きな人には好きっていいたい。グッときたことは伝えたい。嬉しかったこともかっこよかったところも。いつかの愛になるように。誰かのかけらになれたらいいな。誰もが救世主だし、誰もが魔法使い。自分で自分を救っているともいうよね。ちゃんと体温を持って誰も憎まず動けている時の心地よさを知っているので、誰かを羨んだり負けたくないって思いすぎちゃうことが怖い。

いつだって誰かのためは自分のためだから。

諦めること、距離を取ること、一歩踏み出すこと、ぐっと堪えること、堪えないこと、伝えること、想うこと、決めること、決めたことをやること、私はやっぱり、そういうのが好きだ。

正しさは自分の中でだけ。正しさは自分のためだけに使えばいい。

逢いたいひとに逢えるように私は私を生きていたいな。

 

 

 

ごぼうを難なく調理できる人を大人とする理論

泣き喚いてはいないけれどとにかく食べている。ホルモンバランスのせいにするから!もう一日中食べてるので自分がこわい。

食べることは自分が後悔するだけなので他の誰も不幸にならないのかな。ならば、良いのかもしれない。

 

と思ったけどやっぱりよくない。はー、よくない!よくないよくない!醜くなるだけだった!(ぷりぷりしています)

 

 

生理になると判断力が低下する。これが本当に!最近特にーって思ってたんだけど、妊娠した時もそうだった。買い物に行っても何を買えばいいのかわからなくて30分スーパーの中をうろうろしたりしていた。判断力の低下というより、失敗したくない、選ばなくてはならないことに対する焦りなどが大きくなってしまう。と言った方が納得できるかも。もともとあるだめな部分が大きくなるんだね。

 

 

平日の朝から一緒に粗大ゴミに出しに行ってくれる人が欲しいなと思った。

ひとりでいると落ち込んでしまうけど、こういうのひとりでなんとかしないとなんだね。部屋が汚い!ってイライラしたくないから毎日片付けて、料理作れない!ってイライラする前にメニュー決めて、もしかしたらみんなは当たり前のことかもしれないけど、そうやって回避するのかって。でも、なんで男の人はやらなくていいのかなー。私も働いてるのにーとか思っちゃう。でも、「男の人が」ではなくて彼の話だし、女の人がやらなくてはならない仕事と思っているのは私だ。やりたいと思っているから出来ないとこういう時に爆発してしまいがち。

 

あーがんばってる。すごくがんばってるよねー。

ソファで一緒にだらだらしながらポテトチップスを食べてくれる友達も欲しいな。その前にソファが欲しいけど。

 

 

八つ当たりしたら負けだから絶対したくないけど、ほんとに悪くないのかな。ほんとうに勝手に落ちたり泣いたり傷ついたりするこちらが悪いのか…?って思考の渦に飲み込まれたら終わりなので金山寺みそをつくるんだ!ごぼうさま!買うんだけどやっぱめんどくさくなっちゃうのよー。吐き出しはきだし!まとまりないけどよし!

 

72時間テレビを見た話も絶対残したいのでまたブログを書きます。ごきげんよう

愛しかない!ってとこに回って回って辿り着く。

お菓子は食べちゃうけどウォーキングは続いてるし毎日お弁当作ってるしごはんもおうちで食べている。でもお菓子だけ、お菓子だけはやめられない…しゅんしゅん。

 

 

http://llacpp.com/maho28/?post_type=post_lp&p=866

I use っていいね。私は私を使いきりたいってよく思うのも必然的なものなのかもなー

 

音楽を聴きながら歩いている間、だいたいはニヤニヤしている。好きな音楽と過去は愛ばっかりじゃないか!過去が愛になることを知っている私は、ならばいっそ過去にしちゃえば?思考なのだ。

 

 

 

我が家にテレビ台がやってきた。まじでちょっとずつね、生活ね。

ひとりだろうがふたりだろうがなんにんだろうが、自分の心地良さが何よりなんだな。

誰とも一緒にいられないならせめてご機嫌でいたい。

そろそろ不安定期に入るので今回はどうなるんだろってドキドキしています。