春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

実感に次ぐ実感により結果半信半疑だったものを必要としていることを知った時の感情に名前をつけたい

2016年、始まりました。(実は数日前に700字程度まですらすら、つらつらと打ち込んでは消えたブログ二度目の挑戦)
内容は全くの別物になりますが…

新年早々、生活スタイルをガラリと変えて過ごしているのですが、これがすごく楽で。楽というのかな?なんだろ、今、ちょっとだけ体調が悪いというのを理由に外出も夜やらなければならないことも控えていて(放り投げてるとも言う)それにより8時ー17.18時の労働のみ、帰って主婦業その後自分の時間という働くお母さんスタイルになっているのですが……もうね、すごく楽。いや、楽っていうとまた語弊があるかもしれないのですが…暮らしている感あるんですよね。
まぁ、なにがって、帰ってからの仕事脳がなくなることがこんなにも自由な気持ちをもたらしてくれるものなのか!と!
家に戻ってから家のことだけやればいい生活の時間の余裕さ。ごはんを食べて少しのんびりしてプールに行ってもまだゆったりした気持ちでいられる。毎日ごはんが作れる、娘とお風呂にも入れる、旦那さんは家事を手伝ってくれる、日曜に公園に出かけられる…こ、これが世間でいう家族というものなのか…??と、もともと好きなことばかりやってる割に母親像、妻像みたいなものをガチガチに持ってる私としては震えております。
こ、これか…と。やりたかったのこれか…!と。
幸せだろうなと、確かに思った。かわいい子供と旦那さんと笑ってご飯が食べられて仕事も好きなようにさせてもらって、この状態が続くのがもしかしたら一番の幸せなのかもしれない。なんて思ったりしてしまった。
しまった。という表現になるのは、自分がそれをまだ?あまり?望んでいないと思うから。本当はこの生活に音楽をすることや逢いたい人に逢いにいくこと、仕事の次の展開を考えたりそれに向かって動くこと、細かく言えば来週のメニューを考えることもそうだし、足りないものをあの日に買いにいこう、ネットで調べなきゃ、あれが汚れているので洗濯しなきゃ…ひとりじゃできないから誰かに手伝ってもらおう、その連絡を…とやらなきゃいけないことなんて無限にある。あるから、休むことを決めたり働く時間を決めたりするんだと思う。
ましてや、私はどんなに出来損ないでも、全然何もしてなくてもひとりの子供のお母さんなので。それがゼロになることはないのですね。
なので、尚更その息抜きを上手にやらなければならないなぁ、と。
楽しいが明日の糧になるような遊び方を覚えなきゃだし、作れなくちゃ意味を考えるだけの暮らしになってしまうんじゃないかなぁと、去年一年好き勝手に過ごしてみて実感したことだったりします。

きっと修行のような毎日で、それを望んでやっていて、欲しがりません勝つまでは、、ではないけれど、「あたたかいものを与え続ける」という実験を当面の暮らしに織り交ぜながら、自分も他人もかわいがりたい。


今日はバンドの新年初練習。ドーナツをお土産に行ってきます。