春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

安定剤は料理をすることなのだった

無駄に1日の報告

 

朝ごはんとお弁当作って、カフェでランチにケーキにお菓子に作って、帰ってきて夜ご飯でそのあと買い込んだお肉や野菜などを仕込む。あいまにおやつのスイカを切ってとうもろこしを茹でた。

 

シャワー浴びてサッカー見る。

少しお酒も飲む。

 

 

カフェの電気系統がちょこちょこダメになって日曜日に買ったレンジは壊れて泣きそうだったけど、たまたま今日出店してくれてた人がみてくれて、ブレーカーが何個か落ちてることがわかった。コンセントと給湯器は無事について、でもレンジは壊れていて交換してもらった。

 

関係者各位に諸々連絡を入れて、少しすっきりした。

たくさん出店させてもらえる。今までで一番。

感謝ばっかりなのだけど、今まで蒔いたつもりの種が芽を出して育っているならうれしいなぁ。

 

 

 

サッカー、序盤はそうそう動きないやろ、と思ってお風呂から出たら一点入ってるしコロンビアひとり退場してるなんてさー

 

 

 

 

その未来に私はいない

ーーーネガティヴやポジティブなどでは判断されたくない、ただの記録ーーー

 

 

 

無意識の部分で家のことは母親がやるものという思想が染みついている人の「なんでるやるよ」は信用してはいけない。

 

 

見ていない部分や見られていないと思っている部分こそ 人の姿で、そこをどれだけ疑うか、そこをどれだけ信じるか、、、みたいな!

 

 

 

昔、スーパーで働いていた時に、とても掃除が下手なおばさんがいて私はそのとき23歳くらいで(母くらいの年齢で子供もいたのでおばさんと呼ばせていただく)、確かにざっくばらんな性格でがっはっはーって感じの人だったけど、なぜ子供を育てあげ何十年も家事をしてきて しかも私より20以上の年上なのにこんなに洗い物が下手なのか、拭き掃除ができないのか…?と毎日憤慨していたのだけど、

先日普段拭き掃除をしない人の掃除の仕方を見え震えた。

 

見えていなかったのだ

汚れが見えないのだ

ほこりがそこにあると思ってないし、思ってないから目線も落とさない。探さない。

 

 

10年間不思議だった謎が解けた。

すごい腑に落ちた。まじか、まじかよ。って。

 

当時、意味がわからなすぎて、

「もっと丁寧にやってほしい」としか言えなかったように思うけど、丁寧もなにも、見えてないんだからどんなに丁寧にやっても変わるはずないんだ。

そう思うと、私の伝え方も未熟だったし、掃除は全員できるものという思い込み(だって、小学校に入ると掃除当番あるじゃん。毎日してたじゃん。だからできない人はいないと思っていた)があった。

隅々まで塵ひとつない場所にしろとは言ってないし、そもそも私自身そんなに綺麗好きではないから、だからこそ、みんなできると思っていた。私でもこれくらいはやれるんだからみんなは(ましてや年上の女性は)もっとできると思っていた。

 

一人暮らしをしているかどうか、結婚しているかどうか、性別は、年齢は、どれも関係なくてできないというよりやり方の話だったんだ。ということに10年経って気づくなんてなー。

 

そして、私はなんでそんなに厳しいの?いじわるだなぁって思われたりしてたんだな。

 

 

 

わかって欲しい、好きでいて欲しい、など、愛情という名のエゴをぶつけていた時のかわいさよ。

ハローサマーデイズ、君を待っていたよ。

ソファを置ける構図まで持って来た

試行錯誤を繰り返し、ソファがあった時期もなかった時期も経験して、ダイニングテーブルを導入、DIYギターラックに娘の棚、作業机などテコ入れを繰り返し微々たるスピードで進んできて、この家に暮らし始めてもう7年半。

やっと、家っぽい良い感じの構図にたどり着いた……

これでやっとソファが置ける。かわいいのがいい。かわいいソファを買っても良いんじゃないかと思える家になってきた。

 

 

といっても最初がひどかったのでこの模様替えがだいたい終わったらやっと人を呼べるかな?というところ……そして、光は見えたとはいえ家の中はまだまだ物が散乱しています。

自分で物が多いなと思いつつもどこかでみんなこんなもんだろうと思っていたのですが、履けなくなった娘の靴をお店に持っていったら、

「何人家族?」「こどもひとりだよね?」

 

とつっこまれたので、本当に物が多いんだなと認識しました。

収納さえあれば…と思っていたけど、そういうわけでもないのかな……?

 

 

にしても、昨日から急に始まった改造計画(計画もしていないけれど)を無我夢中でしながら、これは筋トレに似ているなぁと思いました。

私にとっての筋トレだなーと

 

洗濯を二回したり、錆びてきたラックにペンキを塗ったりと、年に3回くらいしかない湧き上がる魂を逃すべからず…!てな感じで朝から動けて満足度は高かった。

梅シロップの梅を干して甘い梅干しにしたり、かなり前に作って放置してた(開けるの怖かった)金山寺味噌を開封したりもしました。

 

 

娘が小学校に通いだし、彼女も新しいコミュニティの中でいろんなことを考えているんだなって、もっとのびのびと家の中ではさせてあげたいなと思うのに、自分に染み付いた環境のカルマを断ち切れていない。

あ、これはだめだなって思って謝って一緒に遊んでの繰り返し。

 

こうなると、恩返しとは自分が元気でいることだし、誰かのためを思うなら私が心身ともに健康でなければはじまらないなとしみじみ思っている。

これに尽きる。

 

 

どうかお元気で。そして側にほぐれる愛しさを感じていますように。と自分に手紙を書いている。

 

10番を背負うのは誰かの話なら、私は3番だった記憶があります

今、全身の力が抜けて悲しさが溢れているのですが、これもすぐ呆れというか無関心になってくれるような気もしています。

 

 

うだうだ考えてみたけれど、人が大事にしているものをわざわざ傷つけることはないよな、って話のような気がしました。

それだけかもです、多分そうです

 

 

 

 

 

 

上澄みだけを掬った水を君にあげる

言葉は、確か全体の7%くらいだったかな。それくらいしか場に対して影響力がないみたいな話を聞いてから、検証をするようにたまに思い出しては考えたりするのだけど。

 

 

確かに

 

 

でも、どうにも こうにも、私は文字が好きだ

好きな文章を好きな言葉を選ぶ人を好きになってしまうところがある。

 

 

……言い方やその時の空気も大事だけど、一般的に言われている言葉の影響力よりもはるかに大きな影響がある。

好きがあれば苦手もあって、それに対してもおんなじように反応してしまうから良い部分だし、まぁ、駄目な部分でもあるんだけど、。という予防線を張りたいくらい影響がある。

 

 

正義を武器にしたい人とはすこし離れた場所から会話したい。

 文字にも気持ちは見える

気持ちが見える時にぐっとくるし、乗せた言葉を攻撃に使っている場面に合うと、とても悲しくなる。

自分でそれをやってしまう時も情けなくなる。

(もちろん、これは、完全なる私からの一方通行であり、相手が意図してないこともある。そういう時は誤解というものが生まれ、確認という作業も必要になってくる。もしかしたら、とても手間のかかる生き方をしているかもしれない。それでも私は言葉の選び方や順番を考えることが好きなのだ)

 

 

結果を誰かのせいにするのは卑怯で、許さないまま側にいることは残酷だ。

 だから、反省したり調子に乗ったり、好かれたり嫌われたりしながら生きていくと思っていた。

 

誰かが全部ただのタイミングだよ。って言ってくれたときに救われた。

 

 

深く考えることと重く考えることは違う話で、突き抜けることと周りを見ないことは違う。

これは、何回考えても違う

 

 

 

 

 

 

みんなそれぞれ大事に持ってるものがあって、それを大事にしたらいい。

もっと自分のことを考えたらいい。

 

 

 オブラートに包むことでぼやけて見えなくなってしまうときもある。

 他人を盾にするくらいなら生き延びなくたっていい

 

 私の生活する、は、私の生活する、でしかない

 

 

なんて勢いで書いてみたけど、あたまがかたくなっているー。もみもみ。

 

髪の毛を切ってすごくさっぱりしたし、気に入ってる。そして次回はパーマリベンジじゃ。

各駅停車の感覚で熱海まで行きたい

大きい川や道の角のパン屋さん、ちょっと賑わう商店街、道の駅でお野菜買って、ソフトクリームも食べたい。一面畑の中の道とか、キラキラ光る海の横を一緒に走ったり、気になるところに寄り道しながら熱海までいきたい。

 

お宿は朝食だけにして散歩がてら歩いたどこかのお店で飲みながらちょっと食べて、帰り道にお酒とお菓子を買って、何冊か持って行った本を部屋の中で読んで、静岡のテレビを見て、温泉も入って「極楽極楽〜」とか言って、マッサージチェアに座って、窓の外を眺めて、そして寝る。

 

という旅をしたい。天気が良い暑い日に。

 

 

いつものやつだけどいつものじゃないやつ。

にしてもどんだけ熱海好きなんだろ。住みたいなーいいないいなー

四葉のクローバーをあの子のために探す水曜日

今日は木曜日だけど、安定のーーーーーーーーー

 

 

 

いつもいつも、よくもまぁ飽きないなぁと思うのだけど、イベントやライブ前のざわざわ不安と戦っている。ひと通り不安一杯になった後、ひとつずつひとつずつって呪文を唱えてひとつずつ

 

 

そして毎月言ってるけど、5月も駆け抜けた1カ月だった。そろそろ、人生とは駆け抜けるものだよ、ワトソンくん。とかどっしり構えて言いたい。

 

 

 

一周したーとお知らせを受けた時、私は私で、こんな日が来ることもあるんだなぁと思っていて、全然違うかもしれないけど、おんなじような感覚だったのかもしれない。

さびしいなぁとか、なんとも言い表せない気持ちとか、持っていたりしてたけど、ただただあの時間が好きだったんだなぁと、今日、思った。

状況は異常だったかもしれないし、私は少し疲れすぎていたかもしれないけど、とても素直に過ごせた何年間かだったと思ってて、嫌な部分も守りたい部分もときめく瞬間とか、いろんなことを知って、そんな自分のことも好きになれたのはあの時間があったおかげだなって

もう最初から特別だったんだなって。

 

 

 

 

「I love youを訳しなさい」みたいなものかな?とか考えながらもう少し大事に持っていたいなとも思うし、それでもこれからはみんなの健康とあと笑顔が側にあることを祈っていくんだよ。

 

 

週末のイベントが終わったら髪を切る!やっとすっきり!