春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

あの人のタイム感

タイム感のズレがあるのは当たり前で、それがどのくらいかどんなペースなら心地いいのか、それを他人に説明するところまでをそれぞれのタイム感と呼びたい。

 

悪意のない無意識の悪意を何と呼べばいいのか。

路頭に迷った時、ついつい名前を探してしまう。

答えが欲しいよね。考えることは苦しい。

そういう風に脳はなっているのかもしれない。

いや、なっているんだと思う。

 

それでも知りたいのが私で、それを避けたい人が世の中には多いんだと知る。

 

 

説明しづらいことをしているけど説明しないまま生きるのはもったいない。

 

悔しさや怒りが原動力になってしまうことが多々ある、旧世代の私たち。

だからこそ、ユーモアを忘れたくない。だからこそ美しさを無くしたくない。

それがなかったら誰にでもできることしか残らない。種類は違えど、そういう意地みたいなものをみんな持っていて、だからどんな意地を持っている人と一緒にやるかとか、そういうセンスも見えてしまう時代になっているような。なんて、、早くしっかり堂々と自分はこうですって言えるようにならなきゃ。

恥ずかしい、でも恥ずかしくて発言しないってのも変だし、嫌われても怖がられてもやるしかないんだよなぁ。。。

 

たくさんのタイム感を持っている人でいたい。自分はこうだからって自分を守るために使いたくない。うーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

苦しい、でも苦しい方がやれる。気持ち悪い。全然幸せになれないかもしれない。

でも、こういう人の仕事や音楽は美しいって信じたい。

 

こういうことを言う人をネガティブと取る人はどのワードに引っかかってるんだろね。

 

決めつけなくても決まっているものだけ見たい。

 

 

 

 

ゆっくり話せばわかってもらえるって話じゃないんだよって話なんですよ

メシアンコンプレックスという言葉を教えてもらった。調べながら上手いこと言うなぁとぐぅぅとなっている。

今朝「アザーコンプレックス」と言う言葉があることを知る。

調べ方を正確にすればきっとどんな悩みにも名前があるんだろうな。

 

 

ずっと居場所を作り続けているけれど、みんな自分の場所が欲しいからどんどん「居場所」がなくなる。そんなことを言ってる自分も自分の居場所のために周りの居場所を整えている。一緒か。

ずっと要求され続けてる。でも、要求する方は言ったことすら忘れてるんだよね。

思ったことを口に出して、変わるのを待っている。

 

でも、それってみんなそうだから、もう誰も言い訳なんてできないところまで来ていると思う。疲れている。考えすぎて疲れている。

いろんな人を見すぎているし、全部繋がってしまう。これは私の癖だ。みんな生きにくいでしょう、そうなの正しい人なんていない。

 

 

 

今朝読んだトイアンナさんのブログを泣きながら読んだ。

パワーカップルや共働きの話に限らず、夫婦、家族、はたまた会社でどう働くかの話でもあるなーと思えたので泣いた。生きるために必要なものとして読んでしまって泣けた。納得しかなかった。

 

自分の当たり前をどう疑えるか

当たり前には「当たり前」と言う名前がついているだけ。

育って来た環境が違うから違う人間なのは当たり前だよね。までは全員理解できる。多分。

そこからどうやって共に生きていくのか。のステージで初めて問われるんだと思う。

諦めたり割り切ることができる人が羨ましいけど、そしたらとっくに離婚しているし、私はもういろんなものを放棄しているだろう。

その時に特性や障害と呼ばれるものの根源というか正体を知りたい。

本人だけの話じゃないから知りたい。

本人の話って私の話でもあるから知りたい。

私の話は誰かの話でもあるから知りたい。

共に生きたい。獅子座は愛の人なのでこういうところで溢れてしまう(ということにしている)。

 

 

 

勉強を放棄した瞬間死ぬ。

(勉強とは教科書を開くことではないし、瞬間とは時間のことではありません、念のため)

 

範囲を狭める(完全なメモとして)

自分のことは自分が一番よくわかっている。

長く一緒に過ごしているから一番の理解者だ。

 

一つだけでは多すぎる話。

 

留まる  ・果たして一つの場所にい続けることは本当に成長に繋がるのか

福祉業界  ・就職のハードルが低い。利用する側される側、どちらに対してもセーフティネットとして機能している(?)

救いたい ・↑の通り。人を助けることはいいこと=その業界にいるだけで価値のある私。賃金の低さも相まって尊い職業、敬わなければならない感じが出ている。それを自覚している人が多いような気がする

助けたい、救いたいは結局自分のためではないか?それは寂しいと表現してしまっていいのだろうか。似たような感覚。集まりやすい。

 ナチュラルな差別

自覚のない症状

大体の鬱は二次障害であるとした時に見えてくる仮説

 

元々の賃金が低いと「頑張ってる」が評価基準になりがち。

体力的、精神的にきついと言われる仕事は声を上げやすい

時代とミスマッチ

 

 

 

 

家族(的)経営の本質

ファミリー感の認識のズレ

個人に対応する能力

ルールとは?

ルールを決めたくない人の心理

責任と意志

責任とは?

 

 

 

 

誰でも新しい文化に触れた時に拒否反応を起こしてしまうのは仕方がなくて、次のターンでどれだけ聞けるかだと思っている。けれど、一回で判断してしまう人は多い。しかも、相手のせいにして。

  

誰もが障害者である。これを絶対だと思っている(絶対とは私の信じる研究として必要な絶対)障害者と健常者の境目をつけてしまうことこそが一つの障害かもしれないし、できないことを自覚することができないことも一つの障害である。

 

人は忘れてしまう

人は信じてしまう

悪と正義があると思ってしまうし、戦ってしまう

ただ伝えることができた時、それは感情などの世界から抜け出した選択済みのものになっている。

 

誰かの言葉をネガティブと判断した時、それはあなたのネガティブの幅を周りにお知らせしていると同意である。

 

 

変わろうとしてる人のことを邪魔する人はまじ許さんという気概

 

 

両目とも目薬を差すのに失敗する人の日記のようなもの

昨日の夕方から丸一日以上家の中なので時間感覚も曜日もわけが分からなくなっている。わけが分からなくなっているうちに台風は過ぎさってくれたみたい。

不安はありつつ、こんなふうに会社ごとお休みになることは盆と正月くらいなのでのんびりと過ごした。前日にカレーを作ったりして今日は完全休日でした。

そして、台風に甘えまくってお昼までゴロゴロしてたのでいま全然眠くないの。。。

ゴロゴロついでに朝からお菓子をもりもり食べ続け締めはちくわ。締めたからにはもう何も食べない。締めたからにはもう何も食べないぞ。って23時くらいに誓った(現在AM2:00頑張ってる)

 

とはいえ、静岡から東の方は朝からずーっと雨降りだったので心配です。地震もあったし、、祈るしかできないのがもどかしい。明日の朝がまた心配だね。どうかどうかみなさん無事でいて、そして早い復旧を。

 自分が小さい頃ってこんなに自然災害多かったかなぁって記憶をたどっていたけど、昔は建てちゃだめだった場所が生活の場になっているというのも一つあるねって話になって、なるほどなぁと・・・。あと、地方の人間は全国の話がピンときてなかったりするので自分の記憶にないというだけなのかも。実際なかなか台風が北海道まで来ることはなかったので(だいたい温帯低気圧に変わるかコースも外れてた)、青森のリンゴが壊滅的な被害を受けたってニュースは覚えてるもんな。。。

自分の親世代の時にニュータウンがたくさんできて生活圏が広がって危ない場所も埋め立てて使われていく。山が切り開かれることで森林伐採も進むし、開発が進めば水も汚れる。自然も人間も逃げ場がどんどんなくなっていってる。

全部繋がってる。当たり前のことなんだけど本当に全部繋がっている。変えるのは自分たちなの。エコとかなんとか目の敵にされたり偏見あるけど、そういう話じゃないのだ。もうそういうので判断してる場合じゃない。宙ぶらりんの自分ができることは、宙ぶらりんゾーンにいる人たちにどうさりげなく想いを伝えるかだったりするのかもと勝手な使命感。

私もまだまだ自分ごとになっていないものがたくさんあって、今更だけど。。って仲間に入れてもらってる感じ。恥ずかしがってちゃいけない、知らないことを知ってもっともっと気軽に使えるようになりたい。

 忘れないようにしなくちゃ。もう、やっぱり、自分のことだけ考えて生きる時代じゃない。そんなことしてる暇がない。年々思う。年々強くなる。

昨日、仕事中熱くなってしまったのを反省しつつ、処理しきれなかった悔しい気持ちを温かいものに変えて頑張るか・・・と、モヤモヤしたまま持ってる。モヤモヤしたまま持ってる私偉い。こんなの絶対嫌だった。大嫌い!一緒に仕事なんてしたくない!って戦闘態勢にすぐ入ってた。でも、その人の役割があって自分の役割があってそこは認めたい、できたら楽しく進みたいと思う。一ミリでも進んでいるのだろうか、そうならいいなー。

そもそも戦闘態勢に入る時点で危険人物ではあるんだけど、そこはなんらかの要素でカバーされてると思おう。

 

長く続けることはすごいことだけど、長く続けてきたから正しいや偉くなるわけじゃない。そこを勘違いする年長者にはなりたくないなーーーあーーー(やっぱりまだ荒ぶってる。。笑)

 

 

最近、 崎山蒼志くんと諭吉佳作/menさんのこの曲をずっと聞いてます。

https://youtu.be/2Hr5_pg6TGo

 

素晴らしい。牛乳みたいな声がでた。ってきゅっと詰められてさりげなく歌うところが完璧な配置だ。そこの歌詞が後から別のメロディで歌われるのも良い。と1人よく分からない感動をしてる。センスが詰まってて素晴らしい、すごく好きです。

 

 

知らないことがどんどん増えて、オシャレや素敵、特にスピード感についていけなくなっている感覚。自分の好きなものがメインから確実に離れたところにあること。それは私がどんどん古くなっていってることを表している。仲間と集まってスタジオで大きな音を出して楽しかったーと思いたいわけじゃない。こんなちっぽけな自分でも外に出て存在を示し続けなければ意味がない。それを強く望んでいて、でも、もう太刀打ちできないとなった時、それでも表現したいと思っている自分に絶望する。それでもどうやるかを考えてもがいてる。諦めることと絞り出すこと。

 

それと相対して、スピッツの新曲をPVを見ながら泣いたりしてて。ファンというにはファンの人に失礼なくらいしか聞いていないけど、スピッツのチーム感への憧れはずっとある。チームになるって、まずそれぞれが自立していないといけないくて、各自スキルアップをどんどんして新しいものを吸収して捨てる覚悟もしながら進んでいる。チームと表現したいものってバンドも会社もお店でもいくつかあって、そういうものに出会うたびに自分が求めているのは馴れ合いとか仲間が先頭にくるものじゃなくって、チーム感なんだって、その感じで生きていきたいんだって確認する。

 

 

理性があることで感情の泉に出会える。感情があることで理性の平野に出会える。

お守りのような言葉に救われる。

 

そう、救いはいたるところに散らばっている。「救われたい」って気付いてるかどうか。

 

 

 

手に取るのが楽しみなもの

眠れぬ夜にfilm.の動画がアップされていた。

救いのミュージックだった。変わらぬ美しさで参った。いつもその美しさにひれ伏したくなる。

新しい音源が楽しみだなぁ

 

 

冬に出る新作のチョコレートや、夏の入道雲、ちょっと寒い夜の星空や、大好きな人の感触、存分にリラックスした状態で飲むお酒も、身体にフィットするリズムも、全部全部大切なもの。そして今もまだまだ欲しいと思っている。その瞬間を独り占めしたい。

自分だけが知っている秘密を抱きしめて微笑んだりすることはもう癖といってもいいのかもしれない。

 

 

 

そういうものを忍ばせながら音楽を作っている。

私だけの秘密をそっと誰かに触れられるのを待っている。

 

守りたいものが強すぎると怒りに変わってしまう。それを許し続けると言葉はどんどん死んでいく。怒りを持つことは大事だけど、解決策としてベターであるのかどうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

愚痴を正当化するための日記のようなもの。

ふぇーーーーー、ひとやすみ。今日も安定的に眠い。電気工事の立会い中に書く。気をぬくとだらしない格好になってしまう。。

生理になるたびに今回は暴飲暴食しないぞ!!と心に誓うのに、12回のターンの内、2回できれば万々歳。今回はひどかったな。生活リズムの崩れも相まってボロボロだった。チョコレートと唐揚げに頼るしかなかった。

 

↑こうしてどんどん言い訳だけ上手くなっていくのである。そして、次こそは!と誓うのです。※また1に戻る

 

 

ライブ強化月間みたいな数週間が終わって、どれもこれも大事な大事な思い出になった。故に未来のこともしっかり考えたいと思う日々だったりして、これについては改めて残そう。記録に残すための記録を残してるなんて最高に二度手間なんだけど忘れてしまうよりはいい。

 

 

一ミリずつだけど確実に前に進んでいる。切り取りすぎるとバカになる、が最近の合言葉でおなじみの私ですけど、昨日はとっても不思議で心地よい変な一日だった。現在過去未来がぐしゃりと鈍く混ざり合って、全部の過去があるから今があって、抱きしめていても重しにはしなくていいんだって、散々愚痴のように違和感を聞いてもらって整理していく。単純に背負いすぎている。多分、そう。切り取りすぎないことを意識しすぎて全体を見ようとしすぎているような。事実と感情を切り分けつつ戦わせようとしちゃってる。まだまだ拗らせている。早く置いていきたい。颯爽と次に次にいきたい。

下手くそすぎるや。

 

いつも会うたびに自分のできてないところを自分でフューチャーしちゃう症候群に陥ってたのはもしかしたら聞いて欲しいことがあったからなのかも。

・苦しさを細分化するとやるべきことや結果が出てしまう。

・わかりきった話はわざわざ聞いてもらうこともないし、なんなら相手にとって失礼になる。

この二つが合わさった時、話すことがなくなってしまうのだ。

 

世間ではその感覚を「私なんか」と呼ぶのかもしれない。そんなつもりはなかったけど、無意識にまだまだ残り香をこぼしまくっていきているのか。はぁ、なんと。。私もあの人となんにも変わらないのかもしれない。だから変わりたい。く、くるしい。。。

しかもこの感じが結婚してからの方が強めに植えつけられたもの(たぶん)なのがつらいところ。

 

紐解くと色々スッキリしていくんだけど溢れて泣けてくる。結構出してきてたと思うけどまだまだあるみたい。ん、もしかしたら、伝わったと自分がおもえないと消化されないものなのか。欠陥人間すぎる。でも、それでも生きていかなくてはならないのだ。

原体験なんかなくていい。楽しいだけでいいし、気軽さだけ持ってて欲しい。その上で見えないところを見たい。支えている人を支えたい。選んだ役割に乾杯したいな。

 

なんでこんなに不安なんだろうなぁって、理由もわかってるのにな

工事おしまい。もう少しです。

まだ重なっていないだけ

再度、キッチン工事。

通勤時間はやはり手間でしかないような気がしている。スイスイのスイの最速で行けて30分かかるのなら話はまた変わってくるのですが、渋滞の渦にのまれることに馴染める気がしない。電車とか自転車とかならいいかも。てことは、渋滞が嫌いなだけかも。

 

 

 

深夜に作るお菓子が好き

あれとこれを組み合わせたらびっくりしそう、しかも絶対に美味しい!ってものを想像している時の脳内は良い物質が出ているはず。

 

わーっとなっていた数ヶ月、当事者すぎるとなにも見えなくなってしまうことを今更ながら知る。

あの人はこんなふうに思っているのかも、の想像をしすぎることは良くないことかもしれないけれど、想像できるってことはどんな方位にも想像できる可能性を秘めているとも言えるのだ。悪いことばかりでも良いことばかりでもない、可能性の想像だけをする人になりたい。

 

みんな自分が大好きだし、みんな傷つきたくない。傷ついてでも進むぞ!って決めた人だけが違う景色を見れて、その中の何割かはその景色を誰かと一緒に見たいと思って、道を作ってもう少し歩きやすいように整備して、何人かは途中に休憩所を作ったり、一緒に歩いて連れて来ようとする人もいるし、なんにも言わずに一番後ろを守りながら歩く人もいる。役割の問題で、それはやりたいこととは別の話。

やりたいことを自分の役割にするには多分相当なテクニックが必要だなーとひしひし感じている。

みんなここが一直線な気がする。やりたいこと以外は苦しいこと嫌なことみたいになっているような。切り取った憧れを抱きしめていると一生たどり着けない。

って、自分にも突き刺しながら。

 

まだ重なっていないだけなのかもしれない。

分かり合えないから面白いと思えるようになるにはまだまだもっと全体で見ないとなーくぅぅ。