春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

賄いを食べながらぼーっと考えたこと

私の好きなもの、シンプルなものもすきだし、ごちゃごちゃしたものも好き。古いものもすきだし、新しいものもすき。

統一感ないなーと自分で思いながらも、「愛されてる」ものにビビっときたりしてるのかなーとか、思ったり思わなかったり。
愛されてるもの(ひとでも)って、愛されてるからこその愛みたいなものを放っている気がするんですね。
恋をするとかわいくなる、とか、子供が出来ると美しさが変わる、とかよく言うけど、そういうのもそうなのかも。作品も食べ物も愛されてるものをみんな(私か)求めているのかもしれない。

そうやって、大事なものを確認して、また大事にしたいって思えたりするんじゃないかなぁ。

私は冗談でも堂々と惚気られる人が好きなんだけど、それも同じようなことかなー。
本人を目の前に言うはずないじゃん。ってよく言われるけど、本人を目の前に言葉にするって美しいなって思うんだよなー。


愛かー、愛かー、なんだろなー(くだらないことばかり束の間の休息に考えている、もうすぐ35歳です)

フジロックに行ってないけどフジロックに救われてる人の日記のようなもの

夜と朝が繋がるとずっと夜と朝の繰り返し。
起きたか寝たか寝たか起きたか(寝てはいる)
やっぱりながーくぐっすり眠れる人が羨ましい。時間に追われなくてすむお休みの日を待ち望んで過ごしている期間。


フジロック小沢健二氏をYouTubeで見つけて何度も見てしまっています。
転換中のお客さんの話し声もステージへの期待と高まりもストーリーになっていて、見ているこっちも胸がきゅっとなってニヤニヤしてしまう。あんなに包み込まれる時間はないよなぁと。
それでいて、新曲も良かった。混沌と秩序が一緒にある世界へ。希望と絶望が一緒にある世界へ。
続けることというよりは辞めないことなのかな。。?生きることか、それが表現となることか。

いやぁ……、私はあういう時間が好きだな。

過去も含めてがやっぱり好きだな。

でも、好きだなって思えるのは今が好きだからで、今が好きだから過去も愛せるんだよなぁ。
自分に向かっているのにそれがとてもオープンなものであること、そういうものに憧れているのかもしれない。


そういえば、このブログをはじめた最初の日に思想哲学世界観を振りかざす的なことを書いたのですが、いまいち哲学ってよくわからないまま生きていて。2年経って、2年経った今の方が生きることや人生とは、彼や彼女の事情から自分の世界平和とは?とか、大きくなる子供を通して存在することとか、とにかく毎日考えていて。もしかしてもしかして私が日々考えていることをまとめると哲学になるのか……?と、國分功一郎さんの暇と退屈の倫理学のまえがきを読みながら思った7月の終わり。




考える、の整理をね。したいです。

深夜の蛯名さんのツイートでエモくなるのを許して

このブログはだいたいにしてタイトルを書きたいがためだけの中身で、今日も今日とて そうです。
  


マクロかミクロかミクロかマクロか。
にわとりとたまごどっちが先かのお話みたい。
最近考えてることはそういうことばっかりです。
そういう人間のなので、場所が重要なんだなって感じています。
あ、でも人もだ。
ほら、また場所か人かってなっちゃう。
ほんとはどっちもだよ


細胞が喜んでそれから死んだお話

6月も忙しかったーと振り返った気がしますが、7月もなんだか毎日動き回ってます。反動からか予定の無いお休みの日はひたすら家にこもっていて、あそびのない車みたいな活動の仕方をしています(アクセルとかブレーキとか、言いますよね。あそびがないって。あんな感じです)。

ぼくらの勇気未満都市からLOVE LOVEあいしてるを見て身体中の細胞が1度起き上がって、終りとともに死んだような気がしました。テレビ的に、きっと私の年代は今のターゲットになりやすいのもあるのかもしれないけど。
松潤がボーダーにオーバーオールを着ること、小原くんがテレビに映っていること、キンキキッズのふたりがふたりでドラマに出ていること、オタクの表現が一昔前過ぎたこと、金田一と銀狼も入れ込んできたこと(最終的にドラマを見た感想は「なにこれ?」だったんだけど、あの軽さと生温さが良かったのかもしれない)。続きのように吉田拓郎が出てきて、私達は「本当に出るんだ!吉田拓郎が出ている!」となったし、篠原ともえに感動した。トークの仕方、絡み方、振る舞い全て昔のままを意識してパッケージングした時間に、過去を精算せざるを得なかった。私の細胞は死ぬしかなかったし、これからの未来を生きましょうと約束するしかなかった。
私達は選んで生きることができる。
選択肢を増やすことと、選んでも良いということ。
昔と今が違うのはそこかもしれないなぁ。ふと、結婚のことを考えた時に今だから思える考え方として思い浮かんだことがあったのですが、結婚したくなったのはずっと大事にしていたからなのかもなーということです。私にとって、結婚するってとても大事なものだったんだと思う。「紙切れ1枚で何も変わらないんだから籍を入れちゃえばいいじゃん」とよく言われていたことに、何も変わらないなら必要ないんじゃ?と思い続けていたのはそういうことだったのかもしれないなぁと。
大事すぎて、だから、結婚したくなかったのかも。
それを乱暴に使ってしまった感覚が少なからずあって。理由はどうあれど。未熟さや選択肢のなさも含めて。後悔してるというより、大事にしていたものを乱暴に扱ってしまった自分自身に、もしそんな気持ちを持っていたならごめんなさいと謝った。


そして、これもここ数日でわかったことなんだけど、子供の話をする時に身近なひとに父の姿をうつしてしまっている。もちろん、自分にも。
シュチュエーションが似れば似るほどそうで。当たり前なんだけど、そういえば、最初から父と母は父と母だった。私は父と母のひとりの人間の面を知らない。全く知らない。父は父親として、母は母親として生きていた。苦しい時はあったのかなー、自分が全然できないので母ももしかしたら?って考えてみたけれど、母は割と母っぽかった。
比べて父の方が喜怒哀楽が激しかったし自分の力(父親としての権力)を使う場面が多かったと思うけど、私にはそれが普通だったから違和感がなかった。怖かったけど不器用さは好きだった、一生懸命さを尊敬していた。母が専業主婦のまま子供達を大きくしたことは、今に当てはめるととんでもないことだなぁと思うし子供は学校に行かないし家は燃えるしいろいろあったなー……(あれあれ?思い返すと問題があるある家庭だったんじゃないか説が…)
父は突然死んでしまった。理由もわからない。病名もわからない。わからないまま受け止めてよしとすることがとても苦手な私が、初めてわからないまま受け止めてよしとした(今も出来ているのかわからないけど)ことが父の死かもしれない。
こんな深夜に思い出しておいおいと泣いてしまうのは、死んだことが悲しかったというより父のことがすごく好きだったことを思い直したからだと思う。
 

話しても話しても伝わらないことが苦しくなってそれ自体を諦めたくなることがある。
割とある。
優しさとか幸せとか言われてもピンと来ないのは、それが後からついてくるしかないとおもっているから。幸せになりたいからこうする、ってやり方をしたことがない。
それで幸せなの?って聞かれてもわからないし、人生なんて結果の積み重ねでしかないんじゃ?って、なーんか冷たく思われているだろうなぁ、今  という場面がちょこちょことある。


合理的、美しさ、お祝い。
合理的、美しさ、お祝い。


細胞も死んだけどiPhoneの画面も死にました。
ここから生まれ変わるのだ。
私のためじゃなくて、私を好きだと言って欲しかっただけかもしれない、いつだって。

全て放り出して美しい場所を求めたっていいし、宝物だと思い込むことだっていい。

ダウン中。からのゆるやかな上昇。



ごはんをぼーっと食べてるときに周りの話し声がくっきり聞こえてきて、その後どんどん遠くなっていく感覚にたまになる。誰かの噂話も会話になるのかぁって、私はあんまり誰かの話をしないから話すことがないんだな、とか。
数日前の些細な出来事がたぶん引き金。
助けて欲しいって、思ったんだな。
私を助けて欲しいって。
わっとなってもろくなことがないなー、ってことだけわかった。一クッション、一呼吸の癖をつける訓練。
どうにも世界が遠くなる。切り取ることが好きなのに切り取られると怖くなる。

なんともなんとも。


何かにも書いたけど、私はひとりが好きなんだけど、ひとりだと廃人コースにすぐ乗ってしまう特性があるように思います。
これを人は、鬱と呼ぶかもしれないし、なんらかの障害と呼ぶかもしれないし、だらしがないだったり育ってきた環境がとか子宮の記憶が…とか、いろんな言葉に当てはまるし私の言葉にしか当てはまらないものと一緒に生きていて。それを個性と喜んだりする場合もあったり。
私自身、様々なパターンを想像して遡ったり未来を描いたりしていたし、している最中なんですが。
なんですが。


掃除をするって良いです。掃除をするって良いですね!
達成感の塊になれる。最近気付きました、こんなにも(一瞬ですが)穏やかな気持ちになれるのか!と。自分の好きを散りばめることを気にせず出来るようになった自分を褒めたり、一歩も家から外に出なくても良い時間とすることができる。家の中もキレイになる。ゴロゴロしてても後ろめたさがない!(これがひとりだとダメになりそうと思う要因のひとつでもあります…)

自分だけの世界とは自分が思い描く未来だなぁと思っていて、1cm角の小さな小さな空間だとしても、それを持ってることが自信になる。そんな感じで家の中を作っているような気がしています。
誰かと一緒に生きているからこそ、自分だけの世界を持つことが重要なことに気付きました。
しかも、それは小さい小さいもので十分だった。十分なような気がする…どうだろう…?






ゆらゆらと歩く彼を見つけるのが好きだった。きっと、ゆらゆらと歩いてくれていたことで 私はニヤッとできていたんだなぁー

(研究は続く)





とうもろこしの茹でたての匂いに勝るものはなし

びっくりするくらい毎日悪夢にうなされている。声が出ない夢を見て飛び上がって現実でも声の出し方がわからなくなっててとても焦った。でも、あれは、声が出ない夢なんじゃなくてずっと無視され続ける夢だったかもしれない。と、フライパンを振りながら考えていた。





匂わせること、みたいなものをどんどん苦手と感じている。自分もやってたのに。というか、むしろ好きだったのに………不思議なもんです。
良いな、と思えるものだけ傍におきたい。
それに触れて私が温かくなれるものだけ見続けていたい。
それで私も誰かの傍に置いてもらえるなら、それはとてもラッキーで。ラッキーくらいでしかなくて。
まだまだぐちゃぐちゃしちゃうけど、食べすぎた翌日食事の量を控える様に、不安定さを自覚してフォローしてあげられたら、それは出来たことにしようと決めた。
あれです、体力がないんです。余分なものに使う体力が私にはないんだ!と、そういう意味では一つ悟りを開いたと言っても良いかも知れません。

自分を大事にする、というよりも、死ぬ時に笑って死ねたらいいなーみたいなことを思ったりしていて……それは、その瞬間の自分を大事にするってことなのかもしれないけど。
でも、大事にし過ぎるのも私の性に合わないし、大事にするという言葉自体にしっくりきていなかったので、完成図を頭に描いたり、死ぬ間際を想像したり、全身で表現している子供たちといつまでも見つめあえるようにとか、そういう気持ちで自分のスタイルを作って行こうと思っているところなのかもなぁと。





食べても食べてもお腹いっぱいににならない日だったけど、起きてみると非常に胃が痛くて夏はやっぱりこうでなくっちゃ!(なんて思ってません)。

僕達はほんとうにヘナタトゥーで2週間過ごせるのか

書き出してから数日経ってやっと世に出るスタイルを結果貫くことになっている私の日記のようなもの。




ぼくらの勇気 未満都市が20年後にまた会おうの20年後(2017年、それは今)に放送されるということで、しかも、引退してる小原裕貴くんが出演するということで飛び上がったのが2週間くらい前で。それから懐かしくなっちゃってJr黄金期時代(みたいに言われていた時があったんですよ)のみなさんを振り返る、好きだったJrを検索する、という不毛な時間を過ごしました。
(※放送は2017/7/21、テレビの前で僕と握手)



ちなみに私が好きだったJrはこちら。
野中和久(関西Jr)
鈴木康哲


も少しいたんだけど思い出せない。
グループ的にはV6が好きでした。
覚えている記憶の限りで説明すると、高橋直気くんはいわずもがな。高橋譲くんとW高橋なんて言われてて、出てきてぶわーっと人気出たよね、たしか、うん。
野中くんは今は関ジャニエイトの横山くんとよくペアで雑誌に出てた(今見ても顔がめちゃくちゃかわいい)。尾身くんは雑な感じあったな。鈴木くんはダンスがめちゃくちゃキレイでKinkikidsがMステで硝子の少年を歌った時にバックで踊っている鈴木くんが一瞬写るシーンを巻き戻して何度も見る、というかわいらしいことをしていた記憶あり。
あ、怪談トリオなら川野くん派です。

こうやって検索するのは初めてではないのですが、今回かなり記憶がなくなっていることがわかりましたね…。野中くんの名前が思い出せず数々のパターンでyahooさんにお願いした次第であります(最初、外山とかで調べてたもん)。
………こんなことをしてもなんにもならないのはわかってるのですが、調べずにはいられないことってあるよね……、あ、ありますよね…?うん、うんうん、わかります。大丈夫、私もそうです。
(と私は私と対話する)





全然話は変わるんですが、前回のブログで
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なんか、でも、多分、テンション的には
「(両手を上げて伸びをしながら)あー、強くいないといけないのはつかれたなー」
みたいな感じです。
今日もよく働いたなーみたいな、そんなトーン。
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↑と書いて、書いた翌日にしいたけ占いの下半期がアップされて読んだところなんとまぁ↓


そういう「私は強くなければいけない」という自分のイメージに対して、あなたのもう一方の心がこう言っていると思うのです。
「ひとりでいろいろ乗り越えていく自分、飽きた」
って。これが今のあなたが迎えている最大の変化の波なのです。

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同じだーって。すんって入ってきた。安心もした。
強くなること、ひとりでできるようになることが常に傍にあってそれが普通だと思っていたんだけど、どうにも違うらしい…私の話すことが全く伝わらない人もいる。そして、全く理解出来ないやり方の人もいることに気づいたのが、去年…へたしたら今年に入ってからで…
違う人はいるのはわかっているけど、身近な人やお仕事をする上でこの人は違うと思っていたのに。みたいな。変な期待をしてた部分がずっとあり。


自然体、みたいなものを大事にする時に、
なにもしなくていいことを指す人もいるし、ある程度枠があるから楽になれる人もいる。
私は完全後者なのですが…
で、自然体ってワードでなんとなく思い浮かべるのは前者が多い気がするので…そうなるとふわふわしすぎて居心地が悪いのです。で、ひとりが楽だなぁって思う。
書きながら思ったけれど、私はふわふわしてるけど一緒にやりましょうって人が苦手なのかも。一緒にって時点でその人の都合の良いルールになってるような気がして。

でも、そういうのもちょっと力を抜くと余白が出来て自分と相手と両方のことを考えてそれから選択することができるんだなーと。
余白は人に作ってもらえないから自分が変わるほかないぞーとモヤモヤした時に唱えてる。


とか考えてて思ったんですが、話変わるなら前半と後半別エントリーにすればもっと頻繁にブログ書けるんじゃないの?





(話題のしいたけ占いはこちらです)