春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

守備範囲の再設定

いい曲を聴いたときには良い曲だなぁって堂々と言えるのに、ださいなって思った時は誰にも言えず自分の知識の無さの所為にしようとしてしまう。昔だったらバシバシに切り捨ててツバを吐いてその場から立ち去るくらい尖っていたけど

 

私が思う違和感は、自分の無知さ故に感じているものなのかもしれない?

気づけばそんな風に自分の所為にするのが癖になっていて、天秤が傾かないように無意識に言葉を発するし、無意識に大量の言葉を飲み込んでいる。自分がださい。

自分の感性を信じられなくなってどれくらい経つんだろう。

それでも感覚派から抜け出せない、池の底の泥みたいに行き場がないままじっとそこにある。

自分で感じる自分が自分なので無知なら勉強だし修行だしそれを血肉にして強く優しくなれたらいいって生きているけど、そこまでしなくてもいいこともあるらしいんだ??

私は守備範囲を人より広くとっているらしい。何人かに立て続けに言われて戸惑っている。

思い当たる節は他人の応援ばかりし続けていること。誰かのために生きている(それすら自分に返ってきて自分のためになると信じているけど)こと。

 

確かに自分の応援がてんで下手で情けないけど、そういうタイミングで誰かが私のことを見ていてくれて、何気ない会話に生かされている。

本当はそういうものの循環でそれぞれが生き続けられたらいいよね。矢印が向き合うことに重きを置くとバランスが崩れる。

 

全てうまくいってほしいけど、全てうまくいくことなんてないから、そのために何ができるのかなぁって。思いつかなくなったらそこが今の自分の力。

 

 

私の2023は、」この一年をうまくできそうもない」から始まっちゃって、だからもう3月なのもすごいし、きっと今年の終わりもちゃんとやってきて大晦日には手巻き寿司とお酒でダラダラ過ごすはず。

もっと大事にしたい気持ちと、大事にするには持ち続けないといけないのでは?の気持ちを行ったり来たりしてる。

 

あー、でもな。目まぐるしさの中で大事にできるものだけ残したい。一度そういう状態になってみたい。