春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

レモンサワーを流し込みグレープフルーツサワーを流し込んだ

昨日、思いがけず家族それぞれソロ活動となり……

●夫氏→引っ越し作業で豊橋→東京→長野→蒲郡豊橋

●娘→お友達の家でサプライズ誕生パーティーをされにいく

●私→娘と過ごす予定がサプライズを企画してくれたことによりfree!!!←!!!!!

 

 

この完全フリーな状態は年に3回あるかないか。当たり前の話ですが、どちらかが出かけたい時はやはりどちらかがこどもと過ごすのが通常で。

普段ライブやお友達との約束で家を空けることに罪悪感は持っていないと思ってるけど、どこかで「見ていてもらっている」「任せてしまっている」という感覚があるんだなーって全員がバラバラの活動をしていいときの気持ちの軽やかさにびっくりして認識した。

 

なので、一人で串焼き屋さんに行って、久しぶりに住んでいる町のライブハウスへ。歩いて行けるところにかっこいい音楽が鳴っているのってすごくうれしいことだなーとニヤニヤしながら、知り合いも増えたなぁとしみじみした。

地域性という一言で括っていいなら、私の住んでいる町に染み付いている感じはなかなか好きとは言えないけど、外と中を混ぜ合わせたり、たくさんの人が関わることで起こる化学反応を面白がれる人が企画をしているものに場所は関係ないんだなーと思った。

そういえば、ずっとそうだった。だから、離れても大丈夫だし、ずっとそこにいたって良いのだった。思い出せてよかった。

 

 

 

 

 

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そして今日は少しのんびりと備える日に。
今までの防災グッズを見直してレトルト食品や備蓄品を買い込み。やっぱりなにかあってからじゃ遅いし、自分の身は自分で守らなければとは思いつつ 少しでも分けられるなにかを持っていたいなぁとね。
あとは地震の場合、津波がこない限り冷蔵庫の中身も有効に活用できるんじゃないかなと思うと可能性が広がったりして、そこも含めた暮らしのデザインをしたいなと希望的観測。パターンに対する傾向と対策。 

 

死んでしまうならそれはそれで完結しちゃうけど、生きていた場合生き延びなければならない。自分だけじゃない。娘もいる。
その時に必要なものはお金よりも知恵の場合もきっとあるだろうなって。
そうなったとき、自分にはなにができるかなーと考えたら、「食事に関する」ことならできるかもしれないなとぼんやり思いました。お店を続けている数年間は、それはもう綱渡りで生きていますが、その間にひねり出す力や身についたものはピンチのときに生きるのかもしれないと思っています。自分に合ったものが一番いいからこそ、「試せること」や「選択肢」は多い方がいい派。
何より遅すぎるということはないので、皆さんも今一度そばにいる人と意識の共有を。 

 

なんて偉そうですが…会えなくてもいいから生きていて欲しいのよ。

 

 

ついでにお酒も買ったので夜はワールドカップを見るのだーーーーーーーー

 

意地を張っているだけなんだけど無くなったら生きて無いと同じようなもの

 

わかれよ、見ろよ。みたいな気持ち、今も昔もずっとあるな。

 

 

キメで流れ止まるくらいならキメなんていらねーよって派だし、私の場合ドラムが好きかどうかだった。

 

 

はー、酔っ払っているわ。コンビニにお酒を買って飲むわ。

 

ちくわとスイカとパキッて二つに割って食べるアイス(冷蔵庫ならジュース)と小分けになってるおせんべいはいくら食べても太らないって思ってるから全然痩せないのかも(ビールとおにぎりとチョコフレークとカップラーメンを買いました)

 

 

「わたしのワンピース展」

家中またあっちらこっちら移動してる。

数ヶ月前に結構大掛かりにやった記憶があるんだけど、更に。

前回でだいぶ断捨離できたー!と思っていたけど、ワンピースが50枚ある時点で多分できてない…のかな…?

いや、ワンピースは私の唯一のコレクションなのだ…!どれも処分したくないし、手放す時は愛してくれる誰かの元へ行って欲しい、そしてそれを見届けたい…!(から衣装ケース三つにぎゅーっと押し込めた)

 

ワンピース展やってからじゃなきゃ死ねないな

 

 

 

そんな風に一歩進んで二歩下がる的にお家の中を暮らしやすいように試行錯誤しているのですが、今回は随分と大きな課題に取り組んでおります。

 

今まで寝室、作業部屋と分けていた二階は動かしようがなく、こわくて手をつけられなかったんですが今回とうとう…ね、思いついちゃったんだよね……個人で分けたらスムーズなんじゃ……?ってさ。思っちゃったんだよね……思っちゃったんだもん。そんでさ、どうにも止められなくなっちゃってさ……勢いでさ…うわぁぁぁって動かし始めちゃってさ………だからさ、今さ、私の部屋を作っているんだよね…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しっくりこねぇぇぇーーーーーー泣

 

全然しっくりこない。やばい。めっちゃ狭い。

物多い!物多っ!砂壁だし!画鋲刺さんないし!

 

 

 

 

 

 

 

 

昨日は結局寝るスペースを確保できずに縮こまって休憩という名の睡眠を……(朝の寝覚めは想像通りです)

 

 

 

 

 

 

ボクラノボウケンハマダハジマッタバカリダ。

 

安定剤は料理をすることなのだった

無駄に1日の報告

 

朝ごはんとお弁当作って、カフェでランチにケーキにお菓子に作って、帰ってきて夜ご飯でそのあと買い込んだお肉や野菜などを仕込む。あいまにおやつのスイカを切ってとうもろこしを茹でた。

 

シャワー浴びてサッカー見る。

少しお酒も飲む。

 

 

カフェの電気系統がちょこちょこダメになって日曜日に買ったレンジは壊れて泣きそうだったけど、たまたま今日出店してくれてた人がみてくれて、ブレーカーが何個か落ちてることがわかった。コンセントと給湯器は無事について、でもレンジは壊れていて交換してもらった。

 

関係者各位に諸々連絡を入れて、少しすっきりした。

たくさん出店させてもらえる。今までで一番。

感謝ばっかりなのだけど、今まで蒔いたつもりの種が芽を出して育っているならうれしいなぁ。

 

 

 

サッカー、序盤はそうそう動きないやろ、と思ってお風呂から出たら一点入ってるしコロンビアひとり退場してるなんてさー

 

 

 

 

その未来に私はいない

ーーーネガティヴやポジティブなどでは判断されたくない、ただの記録ーーー

 

 

 

無意識の部分で家のことは母親がやるものという思想が染みついている人の「なんでるやるよ」は信用してはいけない。

 

 

見ていない部分や見られていないと思っている部分こそ 人の姿で、そこをどれだけ疑うか、そこをどれだけ信じるか、、、みたいな!

 

 

 

昔、スーパーで働いていた時に、とても掃除が下手なおばさんがいて私はそのとき23歳くらいで(母くらいの年齢で子供もいたのでおばさんと呼ばせていただく)、確かにざっくばらんな性格でがっはっはーって感じの人だったけど、なぜ子供を育てあげ何十年も家事をしてきて しかも私より20以上の年上なのにこんなに洗い物が下手なのか、拭き掃除ができないのか…?と毎日憤慨していたのだけど、

先日普段拭き掃除をしない人の掃除の仕方を見え震えた。

 

見えていなかったのだ

汚れが見えないのだ

ほこりがそこにあると思ってないし、思ってないから目線も落とさない。探さない。

 

 

10年間不思議だった謎が解けた。

すごい腑に落ちた。まじか、まじかよ。って。

 

当時、意味がわからなすぎて、

「もっと丁寧にやってほしい」としか言えなかったように思うけど、丁寧もなにも、見えてないんだからどんなに丁寧にやっても変わるはずないんだ。

そう思うと、私の伝え方も未熟だったし、掃除は全員できるものという思い込み(だって、小学校に入ると掃除当番あるじゃん。毎日してたじゃん。だからできない人はいないと思っていた)があった。

隅々まで塵ひとつない場所にしろとは言ってないし、そもそも私自身そんなに綺麗好きではないから、だからこそ、みんなできると思っていた。私でもこれくらいはやれるんだからみんなは(ましてや年上の女性は)もっとできると思っていた。

 

一人暮らしをしているかどうか、結婚しているかどうか、性別は、年齢は、どれも関係なくてできないというよりやり方の話だったんだ。ということに10年経って気づくなんてなー。

 

そして、私はなんでそんなに厳しいの?いじわるだなぁって思われたりしてたんだな。

 

 

 

わかって欲しい、好きでいて欲しい、など、愛情という名のエゴをぶつけていた時のかわいさよ。

ハローサマーデイズ、君を待っていたよ。

ソファを置ける構図まで持って来た

試行錯誤を繰り返し、ソファがあった時期もなかった時期も経験して、ダイニングテーブルを導入、DIYギターラックに娘の棚、作業机などテコ入れを繰り返し微々たるスピードで進んできて、この家に暮らし始めてもう7年半。

やっと、家っぽい良い感じの構図にたどり着いた……

これでやっとソファが置ける。かわいいのがいい。かわいいソファを買っても良いんじゃないかと思える家になってきた。

 

 

といっても最初がひどかったのでこの模様替えがだいたい終わったらやっと人を呼べるかな?というところ……そして、光は見えたとはいえ家の中はまだまだ物が散乱しています。

自分で物が多いなと思いつつもどこかでみんなこんなもんだろうと思っていたのですが、履けなくなった娘の靴をお店に持っていったら、

「何人家族?」「こどもひとりだよね?」

 

とつっこまれたので、本当に物が多いんだなと認識しました。

収納さえあれば…と思っていたけど、そういうわけでもないのかな……?

 

 

にしても、昨日から急に始まった改造計画(計画もしていないけれど)を無我夢中でしながら、これは筋トレに似ているなぁと思いました。

私にとっての筋トレだなーと

 

洗濯を二回したり、錆びてきたラックにペンキを塗ったりと、年に3回くらいしかない湧き上がる魂を逃すべからず…!てな感じで朝から動けて満足度は高かった。

梅シロップの梅を干して甘い梅干しにしたり、かなり前に作って放置してた(開けるの怖かった)金山寺味噌を開封したりもしました。

 

 

娘が小学校に通いだし、彼女も新しいコミュニティの中でいろんなことを考えているんだなって、もっとのびのびと家の中ではさせてあげたいなと思うのに、自分に染み付いた環境のカルマを断ち切れていない。

あ、これはだめだなって思って謝って一緒に遊んでの繰り返し。

 

こうなると、恩返しとは自分が元気でいることだし、誰かのためを思うなら私が心身ともに健康でなければはじまらないなとしみじみ思っている。

これに尽きる。

 

 

どうかお元気で。そして側にほぐれる愛しさを感じていますように。と自分に手紙を書いている。

 

10番を背負うのは誰かの話なら、私は3番だった記憶があります

今、全身の力が抜けて悲しさが溢れているのですが、これもすぐ呆れというか無関心になってくれるような気もしています。

 

 

うだうだ考えてみたけれど、人が大事にしているものをわざわざ傷つけることはないよな、って話のような気がしました。

それだけかもです、多分そうです