春は30デニールのタイツで

考える、の整理をしたいと思っています。

書くことで休憩になる人の日記のようなもの

熱海に行きたい。無駄に細い通りを歩きたい。

落ち着いたら行きたい。落ち着いたら会おう。落ち着いたらやろう。落ち着いたら。。。落ち着いたらという言葉を使うたびに落ちつく日なんて来るのだろうかと、一握りの虚無を離せないでいる。

本当は熱海に行きたいなんて全然思えていない。でも、熱海に行きたい。行けるようになりたい。

誰かの苦しみの元にだけはなりたくない。

今、震災の時よりも滅入っている。このもやもやが過剰な反応でありますようにと願って毎日を生きている。それは自分も当事者だからだろうか。そうだとしたら当事者じゃないとやっぱり人ごとになってしまうのか、、、そんな風に思うことにも落ち込んで、変わらず働けて生きていられるのにこんなになってるのも情けないし、なのに全然元気が出なくて私は一体なにをしているんだろうと意味のない堂々巡りを続けているのが現状です

 

 

疲れが出たといえば理由はそれだし、ちょっと体調を崩したり、ちょっと怪我しただけで全然動けなくなってしまうのは、あまりにも五体満足で生きてきすぎたからだ。私は恵まれまくって生きてきたのだ。

そしてそれを普通と思いすぎた。

落ち込んでる人と思われたくないのでなるべく普通にしていたい。なんだけど、如何にもこうにもなんだろうか。声に出さないと本当に死んでしまいそうな気もする。

死の専門家から言わせれば、口に出しているうちは絶対に死なないと言うでしょ。

私もそう言う人を何人も見てきた。でも本当に死んでしまう人もいた。

だから心配してと言う話ではない。

そういう気持ちにジャッチは必要ないのだと、それだけ。

 

綺麗事でいい。本当は怒りなんていらない。

怒りは怒りとして持って、そして正しく力を使える集団で、個人で、親としていたい。受け継いでもらいたいものがあるならそれ。

 

みんなに笑っていてほしいけど、自分はこんなに無力なんだね

できることがなにもない